E.J.ベロックはフリードランダーがネガを手に入れる15年前に他界していて生前どのようなことをやっていた人物なのかほとんどわかりませんでした。ただ生前の彼を知る数少ない人から身長は5フィート(152.5センチ)にみたない人、人間ばなれした広い額をもった特異な風貌の人、自己閉鎖的な人格でほとんど友人がいなかったこと、そして職業は写真師をしていたらしいということぐらいしか分かりませんでした。

ここは私の想像ですが、ベロックが客として娼婦達のもとを訪れるうち写真を撮ってやるとか声をかけたのではないでしょうか。当時としては写真師を雇って写真を撮ってもらうのがかなり高額だったらしいので客から写真を撮ってもれえるということで女達もよろこんだのでは、ただ世間にあまり顔向けできない職業であるので写真を撮ってくれると言っている客に一も二もなくOKというわけには行かないと思います。この撮影ができたことはベロックと娼婦たちとのあいだに信頼関係のようなものが有ったからでしょう。

ベロックの写真手法は、ベロックとモデルが時間とその空間を共有して二者の間に写真機がある。二者の精神の交わりといっていい(ベロックがモデルの精神にふれるのですよね)状況のなかで自然にシャッターが切られる。これって凄く古典的(彼の写真も古典ですが)な手法なのですね、なかなかできませんが。相当の労力、時間、お金をかけないとできないことです。なおかつ純粋な気持ちを持ち、潔くないと。

ニコラス・ニクソンというアメリカの写真家がいます。彼はエイズ治療薬がまだ開発されていなかった時代、エイズ患者に対しての間違った認識(エイズ空気感染の危険とか)があった時期にエイズ患者と共同生活をして、時間と病魔が患者に襲い掛かり死に向かう姿を克明に記録しています。ベロックとニクソンの写真手法は私個人としては非常に似ている気がします。ニクソンがエイズ患者の精神にまで手がとどいていないとできないことなのです。でも二人の決定的な違いがあり、ニクソンは長い時間(病魔の進行、死にいたるまでのの時間)を克明に描いたドキュメントであり、命の尊厳のような崇高なテーマ性を感じます。

しかし、ベロックはもっとあいまいな記憶とか思い出といえるべきレベルのものなのです。お気に入りの娼婦と時間を過ごし、おしゃべりをし、写真を撮る。その写真は彼にとっての宝物である。彼女達と過ごした時間は思い出であり、思い出の証拠は89枚のガラス乾板ネガ。それ以上のものでもないしそれ以下のものではない。

E.J.ベロックは写真家というよりも、女性に対しての思慕と憧憬。彼女達との密やかな時間のなかで自分だけのエロスを見つけただたの男性であったといえると思います。

自分が満たらせないもの、欲求にたいしての渇き、女性に対しての思慕と憧憬と憎しみといった屈折した思い(これが発展していくと犯罪の可能性もありますが)、彼はここに写真機と美学と言う工夫をいれたのです。

かれが生きたのは今から100年以上の昔なので、100年後の私がこんなことを書くのは的はずれなのかもしれませんが。私の中ではこの様な写真家として生きています。

ここまで私の稚拙な文章に付き合っていただき、ありがとうございます。それから一度ベロックの写真をまとめて見ください。100年前の写真なのでノスタルジーな空気をたたえていますが、娼婦とは言え写真機の前でもろ肌をさらすとは後ろ指さされる時代、その中で本当に穏やかな表情をしてポーズをとる彼女達をみるとE.Jベロックが伝説の写真家と呼ばれてよいと思えるようになります。

写真については本人の記録がなにもないので、写真を見て想像するほかありませんがフィリードランダーが興味深いことを言っています「写真の中で彼女達は自分のなりたいものに扮装している。撮る側は彼女達の心に描いている姿を演技させている。それは当然ながい撮影時間がかかり、撮られる側はとる側に好意をもっていただろう。」これはつまりベロックが彼女達に自分の欲する姿を求めなかった。なぜベロックはそんなことをしたのだろうか。

ベロックも男として美しい女性にもてたい、美しい女性と話がしたい、美しい女性と関係を持ちたいというのは男の本能とも言いえる欲求を持っていだだろうと思います。ただベロックはその特異な容貌と自己閉鎖的な性格であるが故に女性が寄り付かず孤独な生活を送ったのでないだろうか、だから彼は赤線に出かけたのでしょう。

でも、赤線にでかけても彼の思いは満たされることはなかったと思います。そこに在ったのは客と娼婦と言う味気ない関係です。そこで彼は写真をとることで、その関係を乗り越えて彼女達に近づこうとした。それは物理的に肉体と肉体を近づくことなのではなく、彼女達の心に近づいたのです。

彼女達のなりたい物に扮装させ自由にさせる、楽しい会話を彼女達と交わし、シャッターを切る。やがて女性達もベロックの思慕の気持ちを知ってか知らずかベロックの為にポーズをとるようになる。ここで彼は至福の時を迎えたのではないか、でもこのような状況を生むためには撮影する側に純粋さが必要なのです。うそを演じていれば彼女達に見抜かれてしまう。たいまいを払い娼館にでかけ撮影ができなくても潔く「また来週くるよ」と言って退散するような、子供のような純粋さ。

娼婦といえばアバズレのスレッカラシもいただろう、分けありの女もいたであろう、そのような自分の周りに二重三重の柵をはる彼女達、騙されたことはあったと思います。それでも諦めずに撮影を続けたのはベロックの純粋な女性に対しての思慕があったればこそではないでしょうか。

このへんの話は私のまったくの想像の話です。ベロックの写真をみるとモデルの女性が自分の思いだけでなく、撮影する側(ベロック)のためにポーズをとっているとしか思えないカットが何枚かあります。彼はモデルの女性がその様なポーズをとるまで忍耐深くしたたかに待ったのでしょうね。シャッターを切る瞬間その時にベロックは密やかな時間、至福の時を迎えたのではないでしょうか。

E.J. ベロック 
私的なエロス、モデルとの密やかな時間

E.J.ベロックについてはどのようなことをやっていた人なのかあまり良く分かっていません、彼の写真が発見され評価されたのは現代アメリカを代表する写真家リー・フリードランダー(アジェ・フォトを参照してください)が仕事でジャズ発祥の地ニューオリンズに出かけた際(彼は多くのジャズ・ミュージシャンを撮影しています)ある画廊の店主より89枚のガラス乾板ネガを見せられました。彼はニューヨークに帰ってからもそのネガのことが気になり再度ニューオリンズを訪れこのネガを購入します。

ニューヨークに帰った彼はこれを苦心の末にPOP印画紙(現像を必要としない焼きだし印画紙)に焼き付けたところそれが1910年代のニューオリンズの赤線地帯「ストーリービル」であることがわかりました。彼はこれをニューヨーク近代美術館のキューレーター ジョン・シャーカフスキーにみせるとシャーカフスキーも非常にきにいりニューヨーク近代美術館から「ストーリービル」の名前の写真集として出版されました。

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